夢を実現させるために手段を選ばない人生! 虹の翼(吉村昭)




わたしのキャリア教育コーディネーターの師匠から、「仕事の壁にぶち当たったとき」の体験を高校生に語るプログラムのためのインタビューシートの記入を依頼されました。

どんな高校生でしたか?という高校時代の振り返りから始まり、自分の仕事を分かりやすく説明するための質問や、仕事上の困難に面したときの顛末、そして高校生へのメッセージという数々の質問を記入し終わったのは5時間も経っていました。

そのなかに『高校時代の自分に影響を与えたことで、今の自分の考え方に影響を及ぼしている出来事、人、本、映画などは何ですか?』という設問があり、わたしはこの『虹の翼』を上げました。わたしが初めて読んだ吉村昭作品はこの本で、衝撃を受けたからです。こんな人生を歩んだ人がいて、それを題材にノンフィクションのような小説を書き上げた人がいる。ダブルで驚いた経験でした。

 

主人公は二宮忠八。生まれた時は裕福だった家庭が没落したため、幼いうちから奉公に出されます。彼が趣味と実益をかねて作った凧は良く揚がることで評判になったそうです。
20代で陸軍に徴兵され、野外演習の休憩中に見たカラスが飛ぶ様子から『飛行器』のヒントを得ます。ゴムひもでプロペラを回す模型飛行器を作製し、空を飛ばしたのは約2年後のことでした。

模型を飛ばすと、有人飛行への夢が膨らんできます。有人飛行用の飛行器も開発し小さめの模型もつくりました。これはライト兄弟が有人飛行に成功する10年前のことでした。
人を載せて飛ばすためにはパワーのある動力源が必要になりますが、忠八ひとりで解決できそうにないので陸軍の上司に上申します。人を載せて空から見渡せれば戦争にも大きく役立つと考えたのです。期待をかけたものの、忠八の飛行器は日本に早すぎたのかもしれません。陸軍で開発はできないことを悟った忠八は、自力で開発するための資金を貯めようと陸軍を去る決意をしたのです。

ここからがちょっと想像を超える行動なのですが、彼は民間の製薬会社に入社します。年少の頃には薬屋で働き陸軍病院に勤務していた彼はその知識を活かしてぐんぐんと業績を上げます。小説では「飛行器のことなんか忘れちゃったの?」というくらいビジネスに邁進する姿が描かれています。
それは、飛行器をつくるという夢を叶えるためにとった非常の手段だったのです。

 

忠八は、奥の部屋におかれていた大きな玉虫型飛行器の模型を解体した。飛行器製作の資金を得るため製薬業界に身を投じるが、その世界で身を立てるためには、会社の仕事に専心し、一時、飛行器の研究からはなれなければならぬ、と思った。かれにとっては辛いことであったが、それも飛行器を完成させるためのやむを得ない手段なのだ、と自らに言いきかせた。
模型は、解体された。寿世は、悲しげな眼をして黙っていた。かれは、屑屋を呼ぶと部品の金具類などを売り払った。
設計図があるのだからいつでも作り上げられる、とかれは自らを慰めるように胸の中でつぶやいた。

 

吉村昭の冷静で淡々とした文章が、飛行器模型を自らの手で壊さなければならない忠八の哀切を逆に際立たせています。
この”ヨシムラ節”に、私はいつもしびれてしまいます。

 

そして忠八は遂に会社の支配人に上り詰めます。小学校を卒業しただけの学歴ながら、夢のために転職して経営者層になるなんて有能さが過ぎるでしょ……。いや、彼の決心が本物だったからこその成果なのかもしれません。
役職に就いたことでは忠八の歩みはとまりません。それは飛行器研究を再開するときを知らせる合図でもありました。

会社の業務に励む合間を縫って飛行器製作に熱中する忠八。オートバイのエンジンを載せて自分の飛行器が空を飛ぶことを夢見ていたに違いありません。しかし、そのニュースは突然に飛び込んできました。

 

新聞を持つかれの手がふるえた。自分の工夫した飛行器は、世界にさきがけて空中を飛ぶにちがいないと考え、それを夢みて飛行器研究に打ちこんできた。その完成が自分のこの世に生をうけたただ一つの意義であるとも思っていた。
かれは、その夢が完全に打ちくだかれたことを知った。アメリカのウイルバー・ライトという男が、すでに前年に飛行器を作り、鳥のように一時間も飛んだという。それほど長い時間飛んだ器械は、自分が切望していた空を飛ぶ乗り物であり、今から積極的製作を進めてもそれほどの性能をもつ飛行器を短い期間に完成させられる自信はなかった。
涙が、あふれ出た。アメリカ人に先を越され、自分は完全に敗北したことを知った。

 

ここまで読者も一緒に忠八の夢を追いかけて来ただけに、目の前が真っ暗になります。自分ではどうしようもない運命によって夢が絶たれる悔しさに、心が揺さぶられました。

 

その後、忠八は飛行器開発の夢をキッパリ諦めます。これまで人生をかけて情熱を傾けてきただけに、やることをやってそれでも完成し得なかったというスッキリした気持ちに落ち着いたのです。

 

彼の人生は一見すると挫折や失敗というキーワードで飾られるようにみえます。しかしこの小説を読み終わった高校生の私は、夢を追いかけ続けた忠八を羨ましく、また爽快に思いました。当時の私はやりたいことも見つからずダラダラと毎日が過ぎるのを眺めているだけだったからです。

飛行器の研究に没頭する彼を沢山の人が嘲笑っても、空を飛ぶ乗り物が自分の手で完成することを彼は微塵も疑いません。
貧しくても、三度も陸軍が上申書を却下しても、寝る間もないほど仕事が忙しくなっても、彼の夢の障害にはなりません。「どうすれば飛行器を作れるか」だけを考えているので逆境も逆境と思わなかったでしょう。

そこまで全力をかける姿に本当に励まされ、自分もこうありたい、と本気で思いました。
いかに困難な目にあっても、夢があるならそれはチャンスに変えられる、そんなふうに思います。

 

飛行器開発を諦めたあと彼が生涯を閉じるまで小説では描かれていますが、大変な人格者であり自然と尊敬の念が湧き出てきます。
ハッピーエンドではないかもしれないけど、読みなおすたびに「頑張ろう」っていう気持ちになる、わたしにとってはお守りのような小説です。

 

この小説を書いた吉村昭が亡くなって10年が経ちました。あのしびれるような文章を生み出した仕事部屋の再現もある「吉村昭記念文学館」が開館したそうです。

創作の現場に触れられるようで、わたしもぜひ訪れてみたいと思っています。


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