平成特撮の夜明け(別冊映画秘宝編集部)を読んで、激走戦隊カーレンジャーから仮面ライダークウガへの変遷に胸を熱くする

平成特撮の夜明け オススメ
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『仮面ライダー平成ジェネレーションズFOREVER』観てきました!
この映画には、ヒーローを知っている人の心のなかに彼らはいつでもいて、自分がピンチに陥ったときに勇気を後押ししてくれる存在だというメッセージ性があるので、平成仮面ライダーをよく知らない私でも楽しく、そして時々胸に響くものを感じながら見れました。

お話の中に「仮面ライダークウガ」をこれから観る仮面ライダーファンの少年が出てきます。
おそらくこの子はレンタルビデオで何度も旧作のライダーを親御さんにねだって観てきたんだろうなぁ、と考えながら観ていました。

 

『仮面ライダーBLACK RX』終了以来、仮面ライダーはTVシリーズで作られませんでした。
そのため、『仮面ライダークウガ』が開始するのは10年ぶりの事件であり、少年のクウガへの期待する様子は10年待ちわびた当時の仮面ライダーファンたちの姿を思い起こさせます。

 

『平成特撮の夜明け』は、一度はシリーズ制作が途絶えたゴジラ・ガメラ・ウルトラマン・仮面ライダーに、平成に入って再スタートを切らせたクリエイターたちへのインタビュー集です。

新シリーズスタートにあたって、苦闘や苦悩の末に新機軸を打ち出し、特撮技術や映像も革新し、それぞれが可能性を開いてきた道程が見えてくるので「制作秘話」好きな方にオススメなのはもちろんのこと、新しいシリーズが始まることに胸をときめかせた特撮ファンが読むと心の中のヒーローが生き生きと輝いてくるはずです。

『仮面ライダークウガ』リブートにあたって

『仮面ライダークウガ』からは高寺成紀プロデューサーと石田秀範監督のインタビューが収録されていますが、とくに高寺Pの話がめっちゃくちゃ面白くて繰り返し読んでます。

 

高寺Pが子ども番組に込めようとするものがたまたま私の好みにあっていたからかもしれないんだけど、それらは「普遍的に大切なもの」だと大人になって気づくことが多いものであるし、成長しても気づかないままでいる大人が多いと息苦しい社会になってしまうことだと私は思っています。

そういったテーマやメッセージを子ども向け作品に込め続けたのは、作品を観た子どもたちが長じたのち、再会したヒーローからタイムカプセルのように新しい発見や気付きを貰えるように、との思いがあったといいます。

その結果「大人の鑑賞に堪えうる」という評価がついた『仮面ライダークウガ』。
高寺P自身は「スーパー戦隊や仮面ライダーは子どもが観るもの」という意識は持っていて、子どもたちが興奮するチャンバラ活劇パートも大切にしていたと語っています。

 

『激走戦隊カーレンジャー』も同じく高寺Pが携わっていますが、もしクウガ制作時にPが考えていた「子ども番組として伝えること」をカーレンジャー制作時から持っていたと仮定すると、20年以上経ってからカーレンジャーにハマる人が増えているのは想定できたことなのかも知れないと感じました。

ただカーレンジャーは1996年当時としては早すぎたものが多かったんじゃないかと、当時見ていてなおかつ今ハマり直している一人のファンとしては考えています。
この辺、もし高寺Pに質問できる機会があったら訊いてみたいものです。

「正義」へのアプローチ

カーレンジャーとの関係で言えば、高寺Pが「クウガはスーパー戦隊での経験があってこそ」という発言も興味深かったです。

脚本家や制作会社ごと、あるいはシリーズ作品ごとの枠組みで作品を評価することはあっても、プロデューサーつながりで作品を捉えるという発想が私にはなかったので、目を見開く思いでした。

 

最近でも高寺Pがラジオで発言していましたが、カーレンジャーは放映当時関係各所から厳しく評価されました。
いわく「正義のヒーローらしくない」とか「ふざけるなんてとんでもない」とか。

高寺Pとしては「正義」という言葉が示すものが分かりにくかったため、カーレンジャーやメガレンジャーでは「市井の若者たちが『自分たちが正しいと思うこと』」を「正義」として表現しました。
するとその「等身大感覚の正義」と巨大ロボットに乗ってまで戦うスケール感との乖離が大きくなってしまったので、『星獣戦隊ギンガマン』では壮大なストーリーを描いたところ、その「正義」は自分たちのいるところから離れた他人事のように感じられてしまったといいます。

ギンガマンは子どもたちからの支持を最後まで得ていたものの、高寺Pの感覚では物足りなさが残ったと。

どちらの「正義」の描き方が正しいということではなく、高寺Pとしては現実社会や同時代性とつながりを強く感じる物語を選んだということなのでしょう。クウガは現代の日本というリアルのなかで「正義」を探る若者の物語になりました。

 

日常生活を送っていた市民が突如として得体の知れないトラブルに巻き込まれていくというストーリー展開も、カット割りや雰囲気も刑事ドラマやミステリードラマのようなクウガ。

一方、カーレンジャーの舞台は表見こそ現代日本ですが中身はファンタジーそのもの。
いわば「書割りの現実」を舞台にしたおとぎ話でした。

そんな舞台上で、カーレンジャー5人は自堕落・臆病・強欲といった人間の弱さを「正義のヒーロー」だからといって隠すこともしなかった。しかし弱さに甘えることなく勇気を振り絞って乗り越えていく強さも見せます。
一見、ふざけているように見える部分は、内面の強さを引き出すための助走に感じられます。

私がカーレンジャーに惹かれるのは「すぐ隣りにいる若者」を描いた物語だったからなのだなぁ、と高寺Pのインタビューを読んで再確認することになりました。

品行方正で言行一致のヒーローを観ていると子どもたちが目指す姿の教科書にはなるとおもうんですけど、人間ってそうじゃないでしょってついつい思ってしまうんですよねえ。共感できないゆえに物語に没入できないっていうのは、大人の目線から観てしまうからなんでしょうけど、私が応援したくなるのはその辺の若者が自立的に行動する姿だったんだ、と改めて気づきました。

新時代のヒーロー像

クウガの主人公である五代雄介のキャラクターの原型も、カーレンジャーじゃないの?などと邪推するようなカーレン脳なんですけど、当たってなくても外れてもいないような気がします。

従来のヒーロー番組におけるヒーローは初めに『敵』ありきで動き出すような受け身の存在が多かったが、世紀の変わり目のヒーロー像は「たとえ敵がいなくても1人の人間として世の中を明るくする人」だと、高寺Pは再定義しています。

当時は、世紀の変わり目で、新しい何かが始まることも期待されていただけに、変にリキむことなく、さりげにベストアンサーを導き出して、抜群の行動力で問題を解決してくれる、そんな新しいヒーロー像をプレゼンすることで、世の中もヒーロー番組自体も、よく変わっていければという願いがあったんです。

出典『平成特撮の夜明け』P211-213

五代雄介は突然仮面ライダークウガに変身することになり、戸惑い心配する周囲をよそに本人は「なったものは仕方ない」と前向きに考えるし、なぜ戦うのかという問いにも「泣いている顔を見たくないから」と自分で答えを見つけています。

突然ヒーローになったもののあっけらかんと受け入れ、地球の平和と謳いつつ目の届く範囲を平穏に保とうとしていたカーレンジャーたちと重なるところが多く思いました。
カーレンジャーでは批判されたヒーロー像が、クウガでくっきりと明確になりヒーローとしても受け入れられる時代を迎えたのだなぁ……。
うむ、感慨深い。

「特撮のここが好き」を再確認するきっかけになる本だった

複数の職種の制作者がそれぞれの立場で語っているインタビュー集なので、あまり表には出ないような貴重な証言が多数掲載されて濃い内容でした!

樋口真嗣監督がTV番組で「一口で特撮と言っても制作会社ごとにその伝承技術が違う」って言ってた話が好きだったんですけど、この本にも「東映の雲はくっきりと硬い雲で作り方を教えてもらった」っていうエピソードが載っています。
こういう話を聞くと、特撮作品の見方がまた変化して新鮮に感じられると思います。

あとはやっぱり、「自分はどんなヒーロー番組が好きか」っていうことを再認識して、視聴の基準ができたんじゃないかなーと思うんですよね。
そう考えると、自分にとっての大当たりであるカーレンジャーに出会えたことはとても幸せだなー!

『平成特撮の夜明け』目次

1989『ゴジラVSビオランテ』(監督)大森一樹
あの頃、ゴジラは、ブランドじゃなかった/田中友幸さんはすべてを変えたかった/卒業させないゴジラ映画を/特撮と特撮の間を面白く見せる/ゴジラとの距離感

1989『ゴジラVSビオランテ』(プロデューサー)富山省吾
ゴジラをハリウッドのようなスピーディーな映画に/すべてが新しかった『ゴジラVSビオランテ』/ファミリー路線へと舵を切った『ゴジラVSキングギドラ』/要素を盛りだくさんに詰め込んだ川北ゴジラ

1990『地球戦隊ファイブマン』(特撮監督)佛田洋
世代交代で特撮監督に/戦隊マシンにリアリティを与える/新しい時代の特撮監督とは

1990『ウルトラマンG』(脚本)會川昇
中二病ウルトラマン/オマージュと改革/子どもの反響は分からなかった/これからの特撮作品について

1995『ガメラ 大怪獣空中決戦』(監督)金子修介
怪獣映画が撮りたかった/理論で脚本を押し通した/この作品で樋口真嗣をスタアにする/ついに完成した『ガメラ 大怪獣空中決戦』

1995『ガメラ 大怪獣空中決戦』(脚本)伊藤和典
平成リメイク作品『ウルトラマンパワード』/完全リブート作品・平成ガメラシリーズ/みんなが観たかった怪獣映画/前作と違うものを目指した『ガメラ2 レギオン襲来』/シリーズを作り続けることの難しさ

1995『ガメラ 大怪獣空中決戦』(造形)原口智生
『ウルトラマンパワード』から平成ガメラへ/平成時代のガメラ造形/現場の必要に応じて造形する/その映画のための造形を

1996『ウルトラマンティガ』(プロデューサー)笈田雅人
円谷プロ入社/『ウルトラマンティガ』のプロデューサーへ/『ティガ』企画始動/システムから変えた脚本作り/周りの反発

1996『ウルトラマンティガ』(脚本)小中千昭
様子見での参加からメインライターに/燃え尽きた『ティガ』最終三部作/ガイアとアグルで主義主張の対立を描く/若いクリエイターに向けて

1996『ウルトラマンティガ』(デザイン)丸山浩
始まりはウルトラマンネオス/ティガのベースになった『原始人ウルトラマン』/ウルトラマンティガのデザイン/怪獣デザインについて/『ティガ』への思いと、これからのウルトラマン

2000『仮面ライダークウガ』(プロデューサー)高寺成紀
新しい時代に合ったヒーロー/仮面ライダーのエッセンスとは/子ども番組として何を伝えるのか/スーパー戦隊シリーズで経験してきたこと/笑顔が似合う前向きなヒーロー像/改めて『仮面ライダークウガ』を振り返って

2000『仮面ライダークウガ』(監督)石田秀範
いい作品を作ろうにも作れなかった歯がゆさ/『仮面ライダークウガ』始動/さまざまな面で斬新さを狙った/そして平成仮面ライダーの礎となった/『仮面ライダーアマゾンズ』

平成特撮、夜明け前 樋口真嗣
80年代、特撮冬の時代/光りが見えない、90年前後/雲の中にある希望/そして平成ガメラへ

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