以前のブログにまとめた記事をリライトして転記します。
歴史小説家・海音寺潮五郎の徴用時代を年譜にしてみました。
海音寺は徴用体験の詳細を著しておらず、随筆等でその一端が窺えるのみとなっています。
そこで、同時に徴用された作家たちの記録から、海音寺がたどった道のりを推測しています。
年譜
昭和16年(1941年) | |
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11月22日 | 徴用される。午前8時に大阪城集合。 |
11月27日 | 四天王寺参拝 |
11月29日 | 橿原神宮参拝 |
11月30日 | 湊川神社参拝 |
12月1日 | 午後2時、中部軍司令官からの訓示。明朝の出発を告げられる。一同乾杯。 |
12月2日 | 午前3時起床。5時朝食、9時半営舎出発。11時、天保山港から輸送船アフリカ丸出港。 |
12月8日 | 午前6時、香港沖海上にて、日・英米が交戦状態に入ったことを知らされる。 |
12月18日 | サイゴン港着。ビルマ班はここで上陸。海音寺らマレー班は広々となった船内で酒盛りを始める。 |
12月19日 | 夕方、上陸許可命令がでる。毎日新聞支局へ行き、歓待を受ける。大阪出港以来、久々の風呂を楽しむ。 |
12月20日 | 海音寺、未明にサイゴン川に落ちるが、危ういところで救助される。少汽船に移乗。 |
12月22日 | 輸送船浅香山丸に移乗する。 |
12月24日 | サイゴン港を出港する。 |
12月27日 | タイ領シンゴラ上陸。トラックに乗車し、マレーへ向かう。 |
12月31日 | マレー領タイピン到着。第25軍司令部の指揮下に入る。 |
昭和17年(1942年) | |
1月3日 | 夜、宣伝班が任務別に3班に分けられ、海音寺は資料班に配属。 |
1月中旬 | クアラルンプール到着。海音寺はここに残ることを命ぜられる。宿舎はガーデン地区にあった。 |
1月下旬 | マレー人の警官養成所であった建物へ宿舎を移動。 |
2月18日頃 | イギリスの独身官吏のためのアパートだった建物へ宿舎移動。 |
7月初め | クアラルンプールにおける最後の宿舎移動。 |
10月下旬 | 徴用満期が近いため、シンガポールへ集結する。 |
12月26日 | 日本帰国 |
【参考文献】
「コーランポーの記」「マライ華僑記」(以上、海音寺潮五郎)
「特別展 海音寺潮五郎」(鎌倉文学館)
「徴用中のこと」(井伏鱒二)
「戦争の横顔」(寺崎浩)
「南征雑稿」(小栗虫太郎)
「我ら戦へり」(佐山忠雄)
「昭和文学史」「新・日本文壇史」(川西政明)
「小栗虫太郎ワンダーランド」
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「コーランポーの記」は「帝国日本と台湾・南方 (コレクション 戦争×文学)」に収録されています